魚村 晋太郎


落ち葉して秋の木は立つ 革(あらた)むることに苦しむ人界のそと

桑原正紀『一天紺』(2009年)

革の字は象形文字で、もとは雨ざらしで白骨になった動物の骨のかたちに象るという。
その象形に借りて、皮革を表すようになった。
皮が剥ぎ取ったままの動物の毛皮を表すのにたいして、革は毛をむしった皮、或いは、なめされた皮を表す。

なめし皮を表す革の字が、あらためる、の意にもちいられるのは、毛皮が加工されて全く違った状態になることによるらしい。
あらためる、の意味で革を使う語彙としてすぐ思い浮かぶのは、革命、革新、改革など。
革命というと、皮を剥ぎ毛をむしるという字義に通じる凄愴な印象があるが、革新、改革というときにはその印象は薄くなる。

太陽のひかりが衰える晩秋になると、落葉樹は意を決したように色づいて葉を落とす。
鴨脚樹(いちょう)の喬木のいっせいに葉をふらせるさまなどには、思わず目をうばわれる。
晩秋の木木の、その一心なさまにくらべると、人の世の変革のなんと難しいことか。
一読して、歌意のわかりやすい一首だが、革むる、が具体的にどんなことを指しているのかは、読者の読みにゆだねられている。

まず思い浮かぶのはやはり、政治の世界や官僚の世界のことだろう。
首相が交代し、何度となく行政改革が叫ばれても世の中のしくみはなかなか変わらない。
しかし、変わりがたいのは世の中ばかりではない。
ひとりのにんげんが考え方や生き方を革めるのも、じつにむずかしいことだ。
そう読んだほうが、一首は胸のふかいところにひびいてくる。
潔く葉を落とす木木の姿に、革の字のなかにひそむ動物の死や皮剥ぎのイメージを添わせた一首からは、社会批判にとどまらない、ひとりのにんげんの苦しみがにじんでいるように思うのだ。