前田康子


花ささぬ瓶(かめ)のごとしと人のいふとも、老づきて独りゐる時のこころの安けさ

佐藤佐太郎 『形影』(1970)

 

『形影』に詠まれた歌は昭和41年から44年までのものである。私は41年生まれなのであるが、他人の歌集を読むときに、自分が生まれた以前と以後では歌の伝わり方が少し違うところがあると思う。生まれる以前の世界というのはどこか距離があって頭で必死に理解しようとしてしまうが、たとえ0歳児でもこの世にいるというだけで、昭和41年以降の歌は素直に身体に入ってくるところがある。

この昭和41年という年は佐太郎にとっては大変な年であった。歳晩に鼻血が出てすぐに入院。年末年始を病院で過ごし1月6日に退院となった。それ以降、生活スタイルを変え、無理はひかえ昼食はとらず1時間ほどの午睡が日課となったと書いている。50代の終わりの頃のことである。

この一首は佐太郎には珍しく破調で字余りの歌である。花をささない瓶のようだとひとがいってもだんだんと老いが来て、孤独にじっとしている時間に心は安堵するという意味だろうか。「花をささない瓶」ははなやかさの欠けた地味な存在ということだろうか。大勢のひとを避けて孤独に自分の世界に浸る老い人が見える。

「冬山の(せい)(がん)渡寺(とじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ」や「夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は(かがやき)を垂る」という絶唱が生まれたのもこの歌集においてで、病後の身だがさらに歌の表現を突き詰めていく気持ちは貪欲にあったのだ。

 

とりかへしつかぬ時間を負ふ一人ミルクのなかの苺をつぶす

おのづから当年すぎて添水(そうづ)などに似る排泄も哀れなるべし

 

好きな歌はいくらでもある。この苺をミルクのなかで潰している歌も佐太郎の素材では珍しいものだろう。上句はどういうことだろう。とりかえしのつかないことに深く後悔をしている我というものが見えてきて、ひたすら苺をつぶす仕草と重なってくる。また二首目では、こういった排泄のような素材も、佐太郎の中ではあまり詠まれていなくて興味深い。「添水」はししおどしのようなものだから、トイレにいったときに尿の出方が若い時とは変わってきたということか。「排泄」や「添水」という言葉でなまなしく詠まれていないところが佐太郎らしい。

 

老づきしあはれのひとつあやまりて舌嚙むことの幾たびとなし

簡易なる昼食をして酢にむせかかる瑣事にもわびしさはあれ

 

排泄のうたもそうだが、さまざまな身体の変化に敏感である。食事のときにまちがって舌を噛んでしまったり酢にむせかえったりもすることを、老いのあわれの一つとして素直に自覚し歌にしていく。

 

われを()てず相伴ひし三十年妻のこゑ太くなりたるあはれ

秋日照る机に垂れよ三十年妻に驕りし懺のなみだは

 

こういう歌はどうだろう。一首目、自分のことを見捨てずに寄り添ってくれた妻はいつしかその声も力強く太くなっていた。齢とともに声が変わったというのもあるだろうが、さまざまな苦労を越え図太くなったというのもあるだろう。二首目は少し大げさだが、人間佐藤佐太郎が見えてくる歌だ。「垂れよ」と言いつつきっと涙が流れたのだろう。

 

何もせず居ればときのまみづからの影のごとくに寂しさきざす

 

「ときのま」はしばらくという意味。何もせずにじっと己のなかにいるある時間、寂しさが自分の影のように入ってきたという意味だが、寂しさが時間をかけて伝わって来る。四句目までが長く結句にやっと「寂しさ」という感情がでてくるのだが、それがいいのだろう。寂しいけれど、孤独のなかにいるがらんとした清しさがある。

 

 

 

 

一年間、このような連載の場を与えていただき、砂子屋書房様、ありがとうございました。またたくさんの励ましのお手紙を頂戴し、連載中の励みとなりました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。しっかりと書けたという自信はなく、これからまたたくさんの歌に触れて勉強していきたいと思っています。ともに一年を駆け抜けてくださった一ノ関忠人さん、ありがとうございました。細やかなサポートを常にしてくださった砂子屋書房の高橋様にも御礼申しげます。