ないですって言っているのに渡されて脇にはさんで鳴るのを待った

斉藤斎藤「わたしの風邪は鼻から」

『飛ぶ教室』第44号(2016年、光村図書)より

 

 

連作の冒頭歌。児童文学の総合誌(翻訳家・金原瑞人さんの編集号)に発表されたものです。

歌集や歌誌に載っている短歌は、それが短歌であることを疑わず読みますが、他の媒体ではコンテクストが変わり、なにか得体のしれない文字列に見えてくることがあります。

上の歌は、いきなり話しかけられた感じがしないでしょうか。日常というより、日常を模した舞台に引っ張りあげられて台詞の返しを求められたような。文字よりも音声で認識させられたような。

この“いきなり”感は、出だしの口調(「ないですと」ならぬ「ないですって」の早口感)、およびその省略話法によります。ふつうに短歌としての解釈をするなら連作のタイトルも考えあわせて、「ない」のは熱で「渡され」たのは体温計ということになるでしょう。

しかしここでは、そうした解釈をするかしないかのうちに届く声、身ぶり、気配をキャッチしようとしているのでは。ことばはことばを追い越すことはできませんが、それでもことばより速く! そんな速さへの希求が斉藤さんにとっての生々しさ、生の手ざわりであるようです。

とくに子ども向けにつくられた歌ではないにせよ、児童文学のワンシーンとして読むなら、子どもの感受はこのように待ったなしだろうという考えも浮かびます。

金原編集長の巻頭言によると、「ここ二十年間の日本の詩、短歌、俳句の世界は魅力的な新人が次々に登場して、ぼくなんか、かつてゲームやコミックに注ぎこんでいた時間がすべて、こちらにいっているといってもいいくらいだ」。

ということで現代のヴィヴィッドな詩・歌・句と談話が掲載され、たのしい切り口になっています。詳細はこちら