墨壺ゆ引き上ぐるとき筆先は暗黒宇宙を一滴落す

三井 修『汽水域』

(2016年、ながらみ書房)

 

三井さんの新歌集は、文体がやや厳粛になった気がします。しかしうたわれる素材や内容はシンプルで、さらさらと読めます。

墨汁を使っている場面はこの一首だけですが、手で書くことに言いおよぶ歌が他にもいくつかあり、注目しました。

 

夜の更けを逡巡しつつ遂に朱の筆を入れたり人の歌稿に

 

〈朱の筆〉は毛筆か赤ペンかわかりませんが、この歌のポイントは〈遂に〉の部分です。パソコンでの記入とはちがって、書いたら消せないという緊張感がこのひとことに詰まっています。

冒頭の歌にもどると、いきなり〈墨〉の字ではじまり、さいごまで漢字が多めなので、視覚的にも黒い、という感じがします。

墨壺は、辞書やウェブで調べると、糸に墨を含ませて直線を引くための工具がまず出てきますが、筆先とあるのでここでは文字や絵を書くための墨入れと考えます。

自分で筆をもっているのか、名人の技を見学しているのか。いずれにせよ、どこか儀式的な印象です。一滴が落ちるまではたぶん、宇宙という観念はなかったと思います。

スローモーション的に墨汁の雫を視覚にとらえたとき、それがはるかに遠いところ、あるいは別の次元から落下してきたように見え、〈暗黒宇宙〉という語がひらめいたのではないでしょうか。

墨の不透明感は、人の心を吸いとるところがあるようです。中谷宇吉郎のエッセイ「南画を描く話」を読んで、この世には名墨というものにこだわる人がいることを初めて知りました。