降らずとも傘を持ちゆく子を褒めてたまにはびしょ濡れもいいよと思う

古谷円『百の手』(2016年、本阿弥書店)

 几帳面な性格の息子なのであろう。降雨の可能性が殆どなくても、万一のために傘を持って外出するという。そのこと自体は誉められていいことであろう。石橋を叩いて渡るというか、転ばぬ先の杖というか、慎重であることは決して悪い事ではない。確かにそのような性格の子は、社会に出てからも失敗が少ない。

 そのような子の性格を、母親である作者は好ましく思いつつも、一方で多少の危惧もしている。もう少し冒険をしてもいいのではないかと思っている。確実な人生もいいが、もっと冒険に満ちた人生もいいよ。その結果、多少は波乱に富んだ人生となっても、それはそれで楽しいよと思っているのであろう。降雨の可能性が殆どなくて傘を持たないで外出し、たまたま運悪く、雨が降ってきて、ずぶぬれとなっても、その程度で済む失敗なら、そのような失敗の経験の積み重ねが人生を豊かなものにしていくのだよと思っているのではないだろうか。

 作者は子の几帳面さを一応は口に出して誉める。しかし、内面の危惧は思うだけで口に出しては言わない。確実な人生と波乱に富んだ人生と、どちらがいいか。母親としては前者を優先させる。無理もない気持ちであろう。しかし、作者は子に後者の人生もどこかで望んでいるのだ。親としての複雑な感情が、傘という具体に託して巧みに表現されている。

    息子らの暗い心の穴のそば出ておいで湯気のごはんをよそう

    おかしなこと悩むのだなあとわが夫が相談にのらず感心する日

    陽だまりを揺するごとくに運ばれる収穫されしみかんの籠は