妻の手紙よみつつおもふ互(かた)みなる吾の手紙も悲しからんか

佐藤佐太郎『立房』(1947年)

昭和20年の作品である。終戦の年。
そのころには頭の上を戦闘機が飛んだりして、戦争で死ぬかもしれないということを、現実味をもってありありとかんじていたのだろう。
妻と子は戦火をのがれて疎開した。佐太郎一家だけではなく、そのようにはなればなれになった家族が多くある。こうした「手紙」の価値も現代とは比べものにならないほど深かったことだろう。

出した手紙に返事があり、そのまた返事を出す。その繰り返し。
言葉は、発したときから時間がたつにつれ色あいや重みが増していくものだ。
手紙において、送った言葉の返事はどんなにはやくても1週間くらいはかかるだろう。その長いスパンによって、出しあう手紙の言葉は陰影がふかまっていく。

「互み(かたみ)」とは〈片身〉のこと。もじどおり、身体の半分だ。
「妻の手紙」と「吾の手紙」。
その両方が一体となっておおきな愛や哀しみが物語られていくという感覚。
励ましあい、ときにはつのるさびしさを語りあう。
この「互み」の一語を時間をかけて味わいたい。
そうおもえる一首である。

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