魚村 晋太郎


敗れたる國といへども涙ふきゐるをとめあり映畫館にて

二宮冬鳥『黄眠集』(1956年)

昨日、12月8日は、針供養の日。
そして、昭和16年に日本がハワイの真珠湾を攻撃して、太平洋戦争を開戦した日でもある。
江戸さんが、戦争末期の佐太郎の歌を取り上げたのは、そうした思いもあったのではないか。

一首は、敗戦の翌年、昭和21年の作。
敗れたる國といへども、といっているので、少女は敗戦のかなしみで泣いているのではない。
ニュース映画という可能性もあるが、おそらくは劇映画の1シーンに涙しているのだ。
この年は、映画「はたちの青春」で、GHQの指示のもと日本映画初のキス・シーンが演じられた年でもある。

主人公の視線はそんな少女にすこし距離をおいているが、批判的というわけではない。
映画館の外の世界には、敗戦の混乱ときびしい生活がある。
少女はそんな世界から、ひとときを映画館のくらやみに来て、ストーリーに涙し、また外の世界へ帰ってゆく。
そんな人間の精神のありように、どちらかといえば感動しているのだ。

一首は杜甫の「国敗れて山河あり」を意識したとおもわれる「敗れたる國」という連作にある。
杜甫は国都長安が破壊されたとき、周囲の山河が昔の姿をとどめていることに感慨をおぼえた。
連作には、杜甫にならって温泉(うんぜん)嶽が詠われた歌もあるが、主人公は、映画館のくらやみに涙する少女の姿にこそ、戦争によってふみにじることのできぬ、そしてふみにじられてはならぬ大切なものを見たのだろう。
同じ歌集には、こんな面白い歌もある。
   固きかたき排便をせる最中(もなか)なる絶對境を人に知らゆな
医師らしい歌、ともいえるだろうか。
昭和10年から平成8年までの歌を収めた全歌集が最近刊行された。