アンデルセンその薄ら氷(ひ)に似し童話抱きつつひと夜ねむりに落ちむとす

葛原妙子『橙黄』(1950年)

さりげなく通り過ぎようとしたけれど、魚村さんが昨日書かれたとおり、12月8日という日は、忘れてはならない日である。
その日が真珠湾攻撃の日であり、終戦の日よりも強く記憶しているという話を幾度も聞いたことがある。私にそれらを語ってくれたひとのひとりは、12月8日は学校にいて、ただならぬ雰囲気に緊張したとおっしゃっていた。
戦争は、子どものこころにも深い谷底のように刻まれてしまう。
昨日の魚村さんが鑑賞された二宮冬鳥の少女の歌からもそうおもった。

今日あげた葛原妙子の歌は、歌を始めたころから長年、愛してきた一首である。
アンデルセンは「マッチ売りの少女」、「みにくいアヒルの子」、「裸の王様」などなど、多くの童話を書いた。作品には、アンデルセン自らの貧困の経験によるものが多いといえるだろう。
「薄ら氷に似し童話」が具体的にどの童話なのかは別として、年齢を問わずに読み継がれる童話には〈ひややかで恐ろしい真実〉が底流しているようにおもう。
初句から三句目までは人間の本質を露わにするような、童話のもつ恐さも感じさせる。

恐いけれど、「薄ら氷」のように繊細に輝く童話。
それを抱いていまねむりにつく。
初めてこの歌を一首だけ読んだとき、その美しい情景に目を奪われた。

しかし、この歌は、暖かい毛布にくるまって詠まれた美意識の歌ではなかったと知り、驚愕した。
葛原妙子は1944年の秋から翌年の終戦まで、幼子3人をともない浅間山山麓の星野に疎開した。
この歌はそのときのもの。詞書きには「防寒、食料に全く自信なし」とある。
童話を抱いてねむりにつこうとしていたのは、戦火をのがれ、ひたすらおびえる母と子どもたちであったのだ

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