松の樹におまへも立つたまま老いてみるがいいさと見下ろされたり

小黒世茂『舟はゆりかご』

(2016年、本阿弥書店)

 

立ったまま老いる……想像すると、体がかたくなります。動くことも横たわることもできず一生を終えるというのは。

でも、樹木はもともと動くことも横たわることもしないのであり、べつに責め苦を負っているわけではありません。そう考えると、そんな生もありかな、と。

こわいような、のんびりするような。

現実にある風景のなか、なんとなく木の精が語りかけてくるような野性味のある〈いいさ〉です。作者の内なる問答だとしても、〈見下ろされたり〉によって自分より上背のある存在、自分を超えてあらわれるなにものかが、いやおうなく意識されます。

 

奪衣婆[だつえば]はたとへばわたしほれほれと小嘘もつきて姑のシャツ剥ぐ

 

奪衣婆(三途の川で死者の着物を剥ぐといわれる)はいかにも妖怪めいた存在ですが、姑は身近な人。つまり日常の歌で、姑の意思にかかわらずその服を脱がせていますから介護の一場面と読めます。

自分を奪衣婆にたとえることも、〈ほれほれ〉と大道芸の合いの手みたいな声を入れることも、ユーモアであるとともに、なんらかのまじないのよう。

現実、日常に空想を持ちこむのは、別の世界をつくるためではありません。ただ、目の前の事象にことばでまじないをかけることにより、それらがすこし異なって見えるといい。松には松の、姑には姑の生があることを、あらたに感じとれるといい。

そんな願いを感じます。

 

なかぞらに両手のばせば顔見えぬ嬰児がわれの親指にぎる