六月の雨吸ひつくしたる量感に山あり山の木木は立ちたり

三崎澪『日の扉』(平成28年、短歌研究社)

 作者は1920(大正9)年生まれとあるから、今年で96歳になられるはずである。現在、高齢の歌人としては清水房雄(大正4年生れ)、岩田正(大正13年生れ)、岡野弘彦(大正13年生れ)、春日真木子(大正15年生れ)などが思い出され、それぞれまだ矍鑠と作歌を続けておられるが、この作者も、そのような歌壇の最高齢者の一人なのである。現在もなお精力的に作歌を続けつつ、伝統ある結社「ハハキギ」を率いている。

 かつて短歌は貧困と病気が大きなテーマであった。現在でもそのテーマは消滅したわけではないが、介護や自身の老いが大きなテーマとなりつつある。歌人の高齢化というのはかつては土屋文明など稀な例もあったが、現在は層として高齢化しつつある。人類が層として高齢化していくことは、初めて経験することであり、社会保障の面からも大きな課題であるが、歌人にとっても、自らの老いをどのように歌っていくのかは、かつての貧困や病気と同じように、大きなテーマとして考えていかなければならないことになりつつあると思う。

 しかしながら、この作者の作品に老いの影はない。驚くほど作品に力が漲っている。上句にはみずみずしくてたっぷりとした豊かな量感が表現されている。「山あり山の」というリフレインにはきびきびとした若さを感じる。更に下句の簡潔な表現には力強さが満ちている。まるで青年が作った作品のような印象を受ける。作品の若さは年齢によるものではない。精神の持ちようなのだとこの作品につくづくと感じる。

    美しきその喉元をたゆませて羽繕ひする鳥まだ去らず

    庭に水撒くのみのわが労働をねぎらひくるる風に中にをり

    めぐりゆく園生の道のいづくにても見上ぐれば見ゆひとはけの雲