身にあわぬ新かなのシャツとりあえず着古しゆかん選びしからは

玉井清弘『屋嶋』(2013年、角川書店)

 新かなを使うか旧かなを使うかは、歌人にとって重大な選択である。しかし、それが「重大な選択」であると気付いた時には、既に相当の歌を作ってきている。もちろん、仮名遣いを変更することに問題はないし、そうしている人もいるが、それにはかなりの決断を要する。一般的に短歌結社誌では、文語口語の混用には寛容であるが、仮名遣いは厳しく糺される。旧かなしか認めない結社もあるようだ。

 旧かな派の多くは、最初は学校教育で教わってきた新かなで短歌を始め、しばらくして、旧かなの魅力に取りつかれて旧かなに変更する歌人が多いと思う。それが変更するまでの段階に至らなかった人が、新かなで作り続けているのではないだろうか。ただ、編集の立場から言えば、旧かなを選択した以上は、決して間違えないで欲しい。校正者が苦労する。若い世代の歌人の多くは、口語新かなであるが、中には口語旧かなの人もいる。彼らにとって、旧かなはカッコいいのかも知れない。もちろん、文語の若手歌人もいることはいるが。

 新かな派には新かな派の言い分があり、旧かな派には旧かな派の言い分がある。ここではその議論はしないが、掲出歌の作者は新かなである。旧かな派から新かなの欠点を指摘されると、それを認めなければならない時もあり、そのような時に、新かなを「身にあわぬ」と感じるのであろう。その居心地の悪さをここではシャツにたとえている。なかなか巧みな比喩だと思う。少し居心地が悪いが、仮名遣いを変更するほどのことでもない。一旦選択した以上、身に合わないシャツを着古すように、新かなを使い続けていこうと思っているのだ。このように仮名遣いを歌った短歌はあまりないと思うが、多くの新かな派歌人の思いを代弁しているように思える。

 因みに、歌集のタイトルであるが、現在「屋島」と表記する香川県の地名である。源平の古戦場として知られているが、『日本書紀』には「屋嶋」の表記で登場する。白村江に戦で日本軍が敗退し、その後、国内の防備のために山城がいくつか築かれ、その一つが「屋嶋城」である。作者の散歩の距離内であるようだ。

    人住まぬ村となりたる三年に孟宗竹は甍を破る

    すきまなく天上おおう櫻花 道を失う国に揺れおり

    何なせるわれかわからず盃重ねすべなく酔えり桜の下に