銭湯が飯屋に化けるその町に黄花コスモス盛りなりけり

高柳克弘「骨牌」

『エフーディ』vol.2(2016年)掲載

 

 

俳人による短歌連作(大分県竹田市吟行)より。

つくりはじめから短歌の丈を目測して過不足なく跳び、予想地点に着地しています。腰句としての第三句が〈その町に〉と、あきらかに“続く”感をかもしだして下の句との断絶がありません。

湯川秀樹は短歌を好む理由として「俳句には『季』という難物がある」「短歌となると自然的環境からの制約を顧慮する必要がない」と述べましたが(10月29日記事参照)、この歌を読むと季語よりも「切れ」を意識しなくて済むのが短歌の楽なところかな、と思ったりします。

短歌にも句切れはありますが、俳句ほど意図的には操らないような。

語彙面では〈飯屋に化ける〉のおかしみが俳句的といえるでしょうか。カフェなどでなく飯屋というのが江戸時代からの庶民性の継承を伝えます。

変わる、ではなく化けるというのも芝居の場面転換的にスピーディで、俳句の“はやさ”が顔を出しているようです。

 

はらはらと黄の冬ばらの崩れ去るかりそめならぬことの如くに  窪田空穂『老槻の下』

 

似ているわけではないけれど、花の色つながりで、この歌を連想しました。キバナコスモスは人の生活史を越える生命のしるし、晩年の空穂が見たバラは人の運命のしるし。

発想としては、心境に寄せた後者のほうがやはり短歌的といえるかもしれません。

 

『エフーディ』は異なるジャンルの創作者が旅の体験をもとに詩歌も散文も手がける同人誌。

vol.2では高柳氏のほか、石川美南・川野里子・小島なお・東直子・平岡直子・平田俊子・三浦しをんの各氏が参加しています。