三井修


滞空をきそえる雪をかきわけつ本局へ向かう速達出しに

なみの亜子『バード・バード』(2012年、砂子屋書房)

 作者はこの頃、奈良県の吉野に住んでいた。歌集を読むと、相当の山中らしい。夫の林業研修のための由である。義経の話を持ち出すまでもなく、冬の吉野は雪が深いことは想像に難くない。天から大きな牡丹雪がゆっくりゆっくり降ってくるのであろう。ある雪は比較的ゆっくりと、またある雪は風の影響でか比較的速やかに、その様子を作者は、雪たちがまるで模型飛行機のように、滞空時間を競っているのだと言う。ここには作者の自然に対する親和感が感じられる。自然の中に抱かれて、自然と一体化しながら生きていく喜び感じられる。

 一方で作者は短歌を作る。歌を作れば、結社誌なり総合誌なりで発表することになる。幸い、日本の郵便事情は諸外国に比べて良好である。日本中津々浦々いたるところのポストがあり、切手を貼って投函さえすれば、配達までに要する日数は比較的短く、滅多に郵便事故が起きることはない。

 吉野の山中とは言え、ポストはあるであろう。しかし、急を要する郵便物は速達にするが、速達を受け付けてくれるのは町にある「本局」である。止むを得ない場合は山を降りて町の本局へ行かざるを得ない。冬は深い雪をかき分けて行かなければならない。親和感を抱いていた雪が、ここでは自分の目的を阻害するものとして立ちはだかる。

 自然というものは人間に対して、ある時は優しいものであり、ある時は厳しく立ちはだかる。場合によっては大きな厄災をもたらす。我々は傷ついた時に穏やかな海を見て癒され、海水浴で心身をリフレッシュするが、その海は、時には大きな津波となって人間に襲い掛かる。自然と人間の関係というものはそんなものなのだろう。雪もまた同様なのだ。

      職のなきおとこの焼ける柿落葉まれに炎は剥きだしてくる

      ぶさいくな蜜柑にあれどわれよりも先住なれば実なりまぶしむ

      鹿たちの踏み跳びわたる川の面(も)にまぎれなく水の声あぐを聴く