かかえこむ人だったのだ文机のメモに「捨てる!技術」とありぬ

中沢直人『極圏の光』
(本阿弥書店、2009)

本線を示す矢印かがやけりためらう者は省かれてゆく
退くときを知りみずからを省みるダージリンティーの張力すがし

『極圏の光』には、捨てる、終わらせる、(捨てられるものと残されるものを)切り分ける、といったことが隠されたテーマとしてあるようで、終りの見えない闘争続きの日常(とはいえ歌集を読む限りこの主人公はその戦いに連戦連勝している印象を受けるのだけれど)からの脱出願望が現れているのだと思う。そういうテーマでいえば、

青み帯びる明け方の空 ばかばかしくなった辺りで停めてください

などがユーモアもあり、年代を超えた普遍性があって、本来ならこういう歌を見出しにとるべきなのかもしれないのだが、しかしあのベストセラーを歌の中で名指ししているのはやはりインパクトがある。辰巳渚『捨てる!技術』(宝島社新書)の刊行は2000年。今、学生短歌会にいる人たちが生まれる前の流行だが、私は、当時著者が立花隆とテレビで討論していたりしたのが強烈に印象に残っている。

掲出歌は、この一首のみを見ていると亡くなった人の遺品整理の顚末のような印象も受けるが、歌集中のつながりからはそうでないらしいとわかる。以下は同じ連作(「冬木立」)中の前後の歌。

植込みの根もとに残るざらめ雪 言い張ればまだ若いと言える
マフラーをきっちりと巻き席を立つこの人もまた教師なるべし

主人公は大学の教員で、その職場の、内心苦々しく思っていた年長者であるその人の机を見たとき(だから「文机」は和室用の低い机ではなく、文具や書類の雑然と散らばった事務用机のイメージ)、こんなメモがあるのが目についた。それで、この人もいろいろ抱えているんだ、と初めてシンパシーを抱いた、そんなことだと思う。この文脈に『捨てる!技術』というハウツー本をもってくることで、抱えている、という以上に、捨てることのできない不器用な人なんだ、という気づきを主人公(と読者)に与えている。

『捨てる!技術』が捨て方を指南したのは、身の回りの不用品の類だが、掲出歌で「かかえこむ人だった」というとき、それはむしろやっかいな人間関係や仕事のことを指すことになる。そして驚くべきことに、メモ用紙に書かれた「捨てる!技術」という書名を見た瞬間、主人公にとってその人は、その本の効能とは真逆に、「捨てる」べき対象から、捨てられない人になってしまった。

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