三井修


不発弾と同い年なり爆弾のとびかふ時にわれら生まれて

中野昭子『窓に寄る』(2016年、角川文化振興財団)

 投下された爆弾の信管が何らかの理由で作動しなかった場合、爆弾は炸裂することなく、地に突き刺さる。場合によってはそのまま地中に埋もれてしまい、そのうちに皆、終戦のどさくさの中でその存在を忘れ去って、何十年か後の工事現場で発見されたりすることがある。いわゆる「不発弾」である。日本では太平洋戦争の末期、米軍の爆撃機じより日本の各地の都市や軍事施設に対して大量の爆弾、特に焼夷弾が投下され多大の人的物的被害をもたらした。そして、それらの爆弾の何パーセントかは不発弾であったと聞く。歌人名簿で確認すると、作者は昭和19年、兵庫生まれとある。甚大な被害をもたらしたあの神戸空襲は翌20年春のことのようだが、とにかく19年頃から日本の各地に爆弾が飛び交っていたのだろう。

 自分の年齢を確認する時に、不発弾と同じ年だという発想がユニークである。昭和19年生まれだと今年で72歳、日本のどこかの地中に今もなお眠っている不発弾も落とされてから72年、同じ歳なのだ。そう思った時に、あの禍々しい不発弾も、妙に何か親しいものを感じたのかも知れない。初対面の人でも、同じ歳と判ると急に親近感が湧くが、不発弾の対してもそんな気が湧いても不思議ではない。戦争を憎む心は心として、不発弾は物に過ぎないのだから。

 一方で、下句からは、自分の人生を凝視する姿勢も感じられる。作者はまだ赤ん坊で、当時の記憶はないであろう。しかし、空襲の恐怖の中で自分を産んでくれた母親のことを思ったのかも知れない。その時の父や母の気持ち、それから、両親がどのように自分の出産のための準備をしてくたれたのか。自分自身が親になり祖母になるとそんなことも想像するであろう。

    夜の雲ながれるはやし人らみな振り落とされむこの地球から

    羽音して見上げたるとき鳥の足が胴のなかへと引き寄せられる

    しづしづと水中歩くごときなり首の痛みを運ぶ体は