魚村 晋太郎


メールでは加藤あい似のはずだった少女と寒さを分かつ夕暮れ

笹公人『念力図鑑』(2005年)

古代日本には、歌垣、東国では、かがい、と呼ばれる風習があった。
男女が集まり、歌を掛け合って求愛をした。
現代でも中国南部や東南アジアに、同じような習慣が残っていて、そのルーツは集団的な成年式であったと考えられているが、筑波山の歌垣を詠った万葉集の高橋虫麻呂の長歌に、
  人妻に 我も交はらむ 我が妻に 人も言問へ
とあるように、古代日本では、豊作への予祝や感謝と結びついた性開放の宴だった。

歌垣について書いたのは、歌の発祥が相聞であり、ある意味で出会い系のツールであったことを思い出したからだ。
ひとはいろいろな場所で「出会う」が、顔を見る前に出会う、ような状況が出現したのは最近のことだ。
バブル景気の頃、不特定の女性からの電話を待つテレクラが巷にあらわれ、今では、出会い系サイトやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などインターネットを使ったサービスが取って代わっている。

一首の少女と、主人公は出会い系サイトで知り合ったのだろうか。
或いは、友人の紹介で出会ったということも考えられる。
加藤あいは、端正な顔立ちの女優。
加藤あい似、だとメールに書いたのが、少女自身だったのか、第三者だったのかによって状況は変わるが、少女自身が書いてきた、と読む方が一首の寒さは増す。
寒さ、とはむろん、冬の夕暮れの寒さであると同時に、その状況の寒さ、である。

期待して幻滅した方も寒いが、期待させて幻滅させた方もたぶん寒い。
分かつ、という語は微妙で、分かち合うという意味もあれば、袂を分かつというように、別れるという意味もある。
ここでは、それぞれに相容れない気まずさを抱えたふたりが、その気まずさを分かち合っている、と読みたい。
夕暮れである。このあとふたりはどうしたのだろう。