佐藤 弓生


青ふかく引かるるままに落ちてゆく からだしづかに浮かびはじめぬ

都築直子『青層圏』

(2006年、雁書館)

 

大空をいのち激ちて駆くるもの傘を開きて吊るさるる肉

 

こんな歌とあわせて読み、作者がスカイダイビングの指導員であったことを知ると、〈青ふかく~〉も実際の落下状態として読めるとはいえ、たいていの読者にはそのような経験がないので、どこか夢のなかで思索している歌のように感じられるのではないでしょうか。

落ちるということを、やや理屈っぽく考えました。

体は、自然に落ちることはできても、昇ることは機械や乗り物の力を借りなければできません。

 

かりそめの重力われにやどりつつエレベーターに運ばれてゆく

 

風景としては現実のものですが、〈かりそめ〉といわれると現実と夢がにわかに逆転し、〈青ふかく~〉がふたたびリアルな自然現象の歌に見えてきます。

diveは飛び込む、潜るという意味の能動的な動詞。スカイダイビングは意志的な行為です。先に「夢のなかの歌」ではなく「夢のなかで思索している歌」と述べたのは、受動性のなかの能動性という背反を感じるからです。

作歌の心構えに似ていると思います。

あてどなく心をさまよわせるのではなく、ことばの引力に身をまかせつつ体勢をコントロールするという半意志的な運動により、〈しづかに浮かびはじめ〉られれば歌に手がとどく。そんな気がします。

金子光晴の詩「落下傘」のモノローグ〈落ちても、落ちても、着くところがないやうな、悲しいことになりませんやうに。〉を思うかぎり、詩作は命がけの行為かもしれませんが。