三井 修


太陽を迎える準備はできている菜の花畑に仁王立ちする

小島なお『サリンジャーは死んでしまった』(平成23年、角川書店)

「太陽」は明るい青春性の象徴のように思える。それを迎える準備ができているということは、青春を力いっぱい走り抜こうという意志の表明のようだ。どのような試練があるにせよ、自分の力で走り抜けるという前向きの明るく強い意志である。

 また、「菜の花」は繊細な抒情性少女性を意味しているようだ。早春の野に咲く鮮やかな黄色でであり、清楚で優しい印象の菜の花はけがれない少女性を感じさせる。作者はもう立派な大人の女性であるが、心の中ではそのような少女性を持ち続けているのかも知れない。

 一方、「仁王立ち」が勇ましい。勇壮なものへの憧憬なのかも知れない。自分にはないけれど、どこかで憧れているようだ。仁王のような豪快な立ち方、それに象徴される男性的な存在感、自分には欠けているが故に憧れるという面もあるようだ。

 青春というものは実に厄介なものだと思う。限りない可能性を秘めた未来、それは自分の手でどのようにでも切り開いていける。そのための力は十分にある。どのような人生を送ることも可能性としては無限である。希望と期待に満ち溢れているのが青春である。それでいて不安感に溢れているのも青春である。未来は可能性に満ちていると同時に、全くの未知の世界である。目隠しをされたまま手探りで歩いていくような不安があるものまた青春なのだ。大人になってから振り返ってみると、青春とは眩しくてまた同時に痛ましい時期でもあった。

 「太陽」「菜の花」「仁王」、それらに象徴される相矛盾する様々な側面、それらが混然と渦を巻いているのが青春である。この一首はそれを表しているような気がしてならない。

      一日の終わりに首を傾けて麒麟は夏の重力降ろす

      父からのメールの口調が不器用で変だと笑う母の夕暮れ

      森にきて夕立を待つこころとは初めてきみに逢いし日のこころ