井辻朱美『コリオリの風』
(1993年、河出書房新社)
冬になると、雪が降っていなくても、夜ごとこの歌を思いだします。
2句めまでは実景にもとづく印象ですが、〈ふちどり〉ととらえた段階で空間が区切られ、〈劇〉という語により演劇用語でいうところの第四の壁(舞台前面の開口部)が意識に浮かびます。
劇場内ではなく、屋外の橋やベランダなどの欄干がなす直線によって、現実の空間が舞台のように見えてくるということです。
シェイクスピア『お気に召すまま』の有名な台詞「この世は舞台、人は男も女も役者にすぎない」も念頭にありそうですが、〈幕間〉と言っていますから、人は役者ではなく観客の側です。
飲食やおしゃべりのさなかにも、舞台で繰りひろげられていたドラマの熱さから疎外されたような心しずむ感じがふと、つめたい雪、しずかな夜の風景から引きだされます。
それは強い感情ではありません。この世に足を降ろしきれない浮遊感、ばくぜんとした寄る辺なさ、そんなものです。
しかし〈なんという〉ということばの語感は強く、心しずむといっても、それは精神の内奥へふかぶかと潜るたかぶりも伴っています。
〈幕間〉なのでドラマはまだ途中です。
近代以後の演劇は第四の壁を破るべく、役者を客席に立たせたり移動する乗り物内を舞台としたり、さまざまな試みをしてきました。雪の色は、つづく生とその表現に寄せる期待のあかるさにも通じています。
オリオンがながされてゆく橋の上 目明しひとりもたれていたる