佐藤通雅『襤褸日乗』(1982年)
寒波来て眠りの早き、とはいかにも昭和の冬の感じではある。
80年代といえば、まだ、暖房の主流は石油ストーブだったろう。
コンビニエンス・ストアや終夜営業のファースト・フードも、ようやく現れ始めたころだが、現在ほど身近ではない。
寒い夜は早めに布団に入ってしまうひとが、いまよりも多かった。
主人公も布団に入っているのだろうか。
それとも、ひとり起きていて、しんとした家内をなんとなくさびしく思っているのだろうか。
遠くから暴走族の爆音が聞こえてくる。
ご苦労である、という結句は微妙だ。
この寒いなか何をやってるんだか、という完全な揶揄、侮蔑の気持ちと読めないこともない。
しかし、主人公には、社会に反抗し、寒風を裂いて走る少年少女たちへの、かすかなシンパシーがあるように思う。
主人公はたぶん、家のなか、寒風のなかを疾走する若者たちとは別世界にいる。
けれど、主人公もこころの芯におよぶ、さりがたい寒さを感じているのだ。
それが、ひとりの生の寒さなのか、時代の寒さなのかはわからないが、主人公はその寒さにたえて眠らずにいる。まるで、彼らとじぶんだけが起きているような錯覚。
寝静まった街をへだてて聞こえる遠い爆音は、過ぎ去ったじぶんの若い日日の、遠いどよめきのように聞こえたのかも知れない。