亡き父のマントの裾にかくまはれ歩みきいつの雪の夜ならむ

大西民子『花溢れゐき』(1971年)

少女のころ。父の掌や背中は大きく、すこし硬くて温かだった。
父は少女にとって、初めて知る大人の異性。同じ親にむける愛情でも、母にむけるそれとはちがう。

父のマントはとてもふかぶかとしていた。自分の身体は小さくて、大きな「マント」の「裾」にちょこんと包まれていた。そこが自分の確かな居場所で、あらゆる不安から守ってくれたのだろう。
「かくまはれ」から、なにか不穏な印象をうける。どうだろう。動乱があったのだろうか、あるいは故郷を去るときなのか。
それとも、絶対的な不安がこの少女にはあったのだろうか。

とおい記憶をたどるとき、身体の一部にのこる感触や温度はたしかな道しるべとなる。

冬の日。いつごろだろう。寒い寒い「雪の夜」だったことだけは憶えている。
「歩みき」の過去の断定から、「父のマント」のなかに居た少女は確かに自分なのだという歓びや充足したこころを読みたい。

「亡き父」は全人的な存在として少女のなかに生きつづける。

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