鍋の火を消してふりむく裏口の暗さの向こう燃えている空

糸川雅子『橋梁』(2016年・飯塚書店)

 

調理は、家事の一つとして家族を支える大事な仕事であった。「厨」「お勝手」「台所」「キッチン」と、家屋のなかの調理場は、時代にそって呼び名を変え、そこに立つ人の様子や、さらにその人の家庭内での役割について、ニュアンスを変えてきた。近年は男女とも調理を楽しむ人々が増え、「男子厨房に入るべからず」などというのは遥か昔のことのようになったが、「厨」でシャドウワークとして働くのは女という歴史はながかった。現在の「キッチン」の明るさにそんな気配はまったくない。

 

調理が一段落して鍋の火を消した。その先に裏口の暗さがあったという。暗さは、単に夕闇がせまっていたというだけではなく、これまでここで立ち働いてきた女たちが見つめていた時間の暗さだったのではないだろうか。振り向いたとき、太古から営々と受け継がれてきた時間に遭遇したのではなかったか。したがって、その向こうに「燃えている空」も、具体的には夕映えを思わせながら、多くの女たちが思い描いてきた様々な憧憬や希望や情熱を連想させる。

 

『橋梁』は糸川雅子の第六歌集。比喩的な手法を駆使しながら、世界の時事、日本の時代状況を視野に入れている。いっぽうで境涯的な抒情を手放さずスケールが大きい。他に次のような歌がある。

 

水面にぽちゃんと小石の落つる音私の体のなかからきこゆ

ここを出てゆきたるものが勝者にて「過疎」とはそんな簡明さなり

しきしまのやまとしうるわし美しき言葉に語る〈ヒロシマ〉〈フクシマ〉