浅草の地下に溜れる浮浪児を父の肩より見しを忘れず

久保田登『雪のこゑ』(1982年・短歌新聞社)

 

時代に流れる気分は、同時代に生きる者と後代になって間接的に知る者とで異なるのは言うをまたないが、後代の者も、短歌として残る言葉によって、その時代を生きた人間の、心の揺れ動きをリアルに思い描くことはできる。その意味で、短歌は貴重な記録であるといえよう。

 

上野や浅草の「浮浪児」は、今でも敗戦国日本の象徴のように語られる。映像も残っている。今日の若い世代に、時代がもっていた殺気や恐怖や不安や臭気は、どのようにイメージされるのだろうかと、先日、浅草・上野を歩いたときに思った。

 

久保田登は「父の肩より見し」という視点をもつ世代。この「父」は、シベリア抑留ののち帰還した。大学卒業ののち東京西多摩の小学校の教員となったが、東京とはいっても、当時の西多摩は村社会の慣習が色濃く残る山の中である。『雪のこゑ』はそこでの勤務期間の歌。負うべきものを負いつつ、悩み思考し抒情した。因みに、作者の、のちの転任先は、かつて若き三ヶ島葭子が赴任した小学校であった。

 

家ぢゆうの灯りをつけて待つわれに霧の中より妻の現はる

捕虜たりし父を恋ひつつ聞きし音いま吾子ときく柿落つる音

 

このように温かく家族を歌うと同時に、情に流れない自他への冷徹な眼差しがある。時代によって培われた深い陰翳がある。

 

夜の駅を通過するとき機関車に牽かれゆく貨車従順ならず

ただひとつ山へ向はぬ路のありひかりて夜の基地へつづけり