光森裕樹


捨て猫の瞳の底に銀の砂 四月の雨はふいに降りやむ

山崎郁子『麒麟の休日』(沖積舎:1990年)


(☜5月3日(水)「月と空 (5月)」より続く)

 

◆ 月と空 (4月)

 

四月のまだ冷たく感じられるであろう雨の中を歩いていると、捨て猫に出会った。春という新生活の時期に引っ越していった人が捨てたのだろうか。その瞳を覗き込むと銀の砂のように雨筋が映っているのが見える。とそのとき、雨は捨て猫をこれ以上濡らさぬかのごとく降りやんだ――
 

他にも解釈が分かれるかもしれないが、そのような場面だと読み取った。捨て猫の「瞳の底」という表現に注目したい。「瞳の奥」というのが普通であるが、「瞳の底」ということで、主体が捨て猫を見下ろしている構図が浮かぶ。一方の捨て猫は見上げているわけで、それであれば映る「銀の砂」は「雨」の譬えと読み取っても無理はないだろう。
 

「捨て猫の瞳の底に銀の砂」というように、漢字とひらがなが一文字ずつ交互に並んでいるものを、私は個人的に駱駝記法と呼んでいる(プログラミングにおける変数名の表記法「キャメルケース」のイメージです)。相対的に字画と音数の多い漢字と、少ないひらがなが並ぶことで、短歌の見た目では濃淡が、リズムの上では緩急のようなものが、駱駝のこぶのように生じる。
 

見た目が煩雑であったり、読みづらかったりするので避けることが多いように思うが、この一首では、駱駝記法になっている上の句がころころとしたリズムをもたらしており、一方の下の句のすらっとしたリズムを強調しているように感じている。
 
 

(☞次回、5月8日(月)「月と空 (3月)」へと続く)