なかぞらのすきまに見えて赤き實の三つ野鳥ののみどへ行けり

森岡貞香『珊瑚数珠』(1977・石疊會)

 

小鳥がやってきて赤い実を三つ食べたと述べている。事柄はそれだけだが、読み終ったときに、異空間にふうっと迷い込んだような不思議な気持ちになる。三つの赤い実が行方不明になってしまったような。

 

わたしたちはこういう場面に遭遇するとふつう、小鳥の動きに焦点をあわせて語る。この歌はそうなっていない。作者が見ていた赤い三つの実を中心に描いている。前者からみれば、図と地の関係を逆転させて事柄を見ているということになる。引用の歌は、赤い実を中心に動きを追う。読者は、同じ事象ながら、異なった視線の在り方を知る。ああ、そういう風にも見えるんだなと、これまでの視線の鮮やかな転換に驚くのである。

 

その驚きを味わうには、「なかぞらのすきまに見えて赤き實の三つ」で息を切って読まなければならない。第4句が割れるので、抵抗を覚える人もいると思うが、句割れの抵抗感が、この歌では大事。「赤き實の三つ」が強く印象付けられる。

 

歩道橋ふたつわたりし身の揺れはちまたのやみがたきなる音のなか

すすぎ終りしうつせみの髪絞れるはしろき水滴とびやまずけり

 

森岡貞香の文体には、さまざまな工夫がある。それがごく自然なものに感じられる。それは、文体によって日常と非日常の転換をはかっているといえるだろう。伝達内容にばかり気をとられていると良さを十全に味わえないことがある。