空の奥へ空が続いてゆく深さ父となる日の土管に座る

奥田亡羊『男歌男』(2017年・短歌研究社)

 

「あとがき」に「『男歌』には様々な意味があるが、つきつめれば信頼と肯定の歌なのだと思う。閉塞感の増す現代に、今なお『男歌』は可能なのか。結論は用意していない」とある。「男歌」を「信頼と肯定の歌」といい、それを実作で確かめていこうという点に注目したい。ただそうありたいと願うだけではなく、世界を引き受けているような強さがある。「信頼と肯定の歌」を読んでいると、読む側にも信頼感や肯定感が満ちて来て嬉しくなる。

 

掲出の一首は、子の誕生を歌ったものだが、時間的にも空間的にも、また思想的にも遥かなるものと繋がって「今ここ」が肯定されている。もちろんこれからも。父も、生まれてくる子も、世界に受けとめられているようだ。世界によって生が肯定されている。「土管」が実にいい。地に埋まって用途を果たす実用品が、どっしりとした重量をたたえている。

 

月光をはじきてハクビシンとなる一瞬を見き動く気配の

幹を打つ斧の湿りと打たれたる樹木の匂い風が吹いてた

八月の光る多摩川 子よこれがお前のわたる初めての川

 

「男歌」は「女歌」「たおやめぶり」に対立する短歌用語だが、『男歌男』を読んで、今こそ、勇壮で大きく直情的な詠風の意義はつよく主張されていいと思った。