なにげなく摑んだ指に冷たくて手すりを夏の骨と思えり

服部真里子『行け広野へと』(2014年・本阿弥書店)

 

各大学につぎつぎに学生短歌会が創設されて、勢いが時流として注目されたのはそう古いことではない。10年前くらいだろうか。そこから若い短歌作者がたくさん育った。学生短歌会出身者は論作ともに達者だという印象がある。服部真里子もその一人で、略歴をみると2006年に早稲田短歌会に入会している。

 

掲出歌の読ませどころは「骨」。大づかみで漠然とした季節の「夏」に、手の冷感が芯のようなものをもたらした。冷たいと感じた時に、「夏」が確かなものとなったのだ。一首には、「夏の骨」の着想に注目させるような用意がある。「なにげなく摑んだ指に」がそれである。短歌に新しい気分を呼び込もうと意欲的である。

 

今年は気温の変化が激しくて、真夏のような気温に驚いたかと思うと、翌日にはまた厚手のジャケットを羽織ったりする。天気予報は、スーパー猛暑になるだろうといっている。暑い日はひんやりとした手すりが心地よい。皮膚で感じる温度変化に、わたしたちは、ふだん自覚する以上に、直接的な季節の変化を感じているのではないかと思う。この歌は、そういう季節の体感をねらっている。。

 

前髪へ縦にはさみを入れるときはるかな針葉樹林の翳り

花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする

はめ殺し窓のガラスの外側を夜は油のように過ぎるも

 

言葉のもつイメージを重ね合わせることで、読者の気分をどこまでも広げてゆく点が巧みである。