光森裕樹


6月の2日の朝に夏が来てあなたに会うので夏バテしそう

仲田有里『マヨネーズ』(思潮社:2017年)


(☜2月6日(月)「検索窓と生きる(1)」より続く)

 

◆ 検索窓と生きる (2)

 

6月2日という日付けに大きな意味はないのだろう。たまたま「あなた」と会う約束をしただけに過ぎない。約束をしているので、その日の予定は明確である。面白いのはその日の朝に「夏が来」るということも、「あなたに会う」という約束と同じような感覚で、主体において確信されていることだ。
 

もっと前に夏が来て身体が慣れていれば、あるいは、あなたと会う日が夏が来るより前ならば問題はないけれど、両者がバッティングすると「夏バテ」してしまうと感じる――
 

「あなたと会う」ことを嫌がっているわけではなさそうであるが、すぐに気持ちや体力がいっぱいいっぱいになってしまうキャパシティの低さが、むしろ微笑ましく印象に残る。6月2日のことを考えただけで、疲れてしまっていそうだ。
 

この〈キャパシティの低さ〉は仲田有里の作風の特徴であり、感受性の閾値が高すぎないことに繋がっているように思う。つまり、多くの人が見逃してしまうようなさりげない出来事の、そのさりげなさを大切だと感じる力がある、ということだ。
 

駐車場の鳩を通って6月の24日の風が吹いてる

 

同じく、おそらくは意味のないであろう日付けの入った一首を引いた。駐車場に鳩がいて、そこを風が吹き抜ける。ただそれだけであるはずのことが、一首として提示されることで、一生のなかで二度と起こることのない出来事のように感じられる。
 
 

(☞次回、9月6日(水)「検索窓と生きる (3)」へと続く)