垂直に振子ぞ垂れて動かざる時計ひとつありわが枕上がみ

葛原妙子『橙黄』(1950年・女人短歌会)

 

日本で女性の国政参加が認められたのは1946年だった。以後、揶揄されながらも、女性の各分野での活動は活気があふれていた。1949年に創刊された「女人短歌」も、そうした活動の一つとして注目されていい。もちろん、まだまだ根強く横たわっている男性優位の社会意識を梃子とした活動ではあったが。

 

葛原妙子は、女人短歌会創立に参加して感覚的なイメージの創造によって注目されたが、感覚的に享受されなければならない作品は、ときに難解派と呼ばれた。『橙黄』の「終りに」で、次のように記している。「現在の私は感覚を通さない詩と云ふものは餘り関心をもてないでゐる」「感覚のゆたけさは理念の成長と相まつてその作品に年齢を超えた潤ひをもたらすものである」。集中の次のような歌はよく知られている。

 

青きぶだう、黒きぶだうと重ね売る濁水に洗はれし町角にして

奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが纍々と子をもてりけり

わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

 

今は家の中に音を響かす振子時計の存在感はほとんど忘れられてしまったが、掲出の歌は、寝床の頭の上に停まったままの振子時計があるというもの。「垂直」の直截性と静謐、「ぞ」の強調、枕上の視線の角度。停止した振子時計が象徴的意味をもって感じられる。感覚と一口にいっても、いろいろだが、どっしりと奥深い存在感がある。振子時計はなくなっても、作品は時を経て古くない。戦後に切り拓かれた新しい女性の歌である。