咳(しはぶき)不意に出る心地してああぼくは一千年を生きねばならぬ

中澤系『uta0001.txt』新刻版(双風舎:2015年)


 

◆ 生きると死ぬ (1)

 

突然、咳が出てくるような気持ちがしてきて、ひどく嫌な気分だ。ああ僕は、こんな不快な思いを感じながら、千年もの長い人生を過ごすのか――
 

歌に込められた想いはこのようなものだろうか。自らはコントロールしにくい、咳という生理現象はたしかにありがたいものではない。しかし、咳が出るという予感だけで気持ちは一杯いっぱいになり、思考は人生を疎む方向に振り切る。ちょっとしたことが即座に、人生を単位とする思考に繫がる。この危うさは、中澤系の大きな特徴だろう。
 

例えば次のような歌にもその傾向は見られる。
 

牛乳のパックの口をあけたもう死んでもいいというくらい完璧に

 

牛乳パックの口がきれいに開いた。ただそれだけのちょっとしたことが、「もう人生はこれで十分」という思考を呼び覚ます。
 

咳をすれば、人生はままならないことを半永久的に繰り返すのだと思い、牛乳パックを開ければ、もう死にたいと思う。ふたつの思考同士は遠く両極端に位置するものに思えるが、同じ一本の糸が見せる振幅に過ぎないように思える。それは、咳にわざわざルビを振って「しはぶき」と読ませることや、「生きねばならぬ」という口調に見られる老成して悟りきったような表現に対して「ぼく」という若さや幼さを感じさせる一人称が使われていることのアンバランスさにも通じているだろうか。
 
 

誰もが、自らの誕生と死を見ることなく生きる。
 

誰にもコントロールすることができない生と死が、短歌のなかでどのように詠われているかを見ていきたい。
 
 

(☞次回、6月7(水)「生きると死ぬ (2)」へと続く)