今井恵子


針の目の隙間もおかずと押し浸す水の力を写したまへり

春日真木子『水の夢』(2015年・株式会社KADOKAWA)

 

小題「水の力」の一首。「明治四十三年「水害の疲れ」」と注がある。この歌の前に【こほろぎが屋根の裏べに鳴くを詠む出水さなかの明治の余裕】、後に【牛叫ぶ声を闇夜にききとむる悲痛奔りぬ左千夫歌集に】が続く。作者は、水害を詠んだ伊藤左千夫の歌集を読んでいるのである。

 

左千夫の「こほろぎ」の歌というのは明治33年の【ゆかの上水こえたれば夜もすがら屋根のうらへにこほろぎの鳴く】、「牛叫ぶ」の歌は明治43年の【闇ながら夜はふけにつゝ水の上にたすけ呼ぶこゑ牛叫ぶこゑ】を指している。掲出の一首は左千夫の【針の目のすきまもおかず押浸す水を恐しく身にしみにけり】に拠っている。

 

「水の力」一連は、水についての思索である。体験に加えて文献をあさり、先人の言葉に耳を傾けるのは、この作者の作歌姿勢だ。それは外部への勁い関心の表れでもある。明治の水害に、水の力の大きさ恐さをリアルに読みとっている。加えて「写したまへり」に注目したい。作歌歴の長い作者にあって、さらなる作歌方法の追求がみえる。写生によって生み出される歌の表現へのあくなき関心である。

 

春日真木子の父は松田常憲、尾上柴舟を師として「水甕」を主宰した。春日も柴舟系の出でありつつ他の系列に学ぼうというのである。「私は今、八十八歳ですが、これからも心を揺らし、言葉を揺らし、夢見る力を培ってゆきたく、表題を『水の夢』としました」(あとがき)とある。言葉に力感と艶のある大正生まれである。

 

拳とは男の涙を拭うもの終戦の日の父を忘れず

渡来せる鶫のもゆる眼に見られそらにかがやく木守りの柿

支え木にもたれひらける牡丹ぼうたんくれなゐへ向く今日のわが杖