岩崎恵『手紙の森』(短歌研究社:2017年)
(☜7月26日(水)「かすかに怖い (8)」より続く)
かすかに怖い (9)
記憶を辿ると、泣いていたことばかりがいつまでも鮮明なままである。夏なのに咲こうとしない向日葵を前に、そのことばかりを思う――
日照りのなかで固く閉じたままの向日葵の蕾は、記憶の中で粒子のようにはっきりと残っていく「泣いていた記憶」と重なると同時に、自分自身にも重ねられているのだろう。蕾という未開花である状態は、「鮮明」という言葉とゆるやかに、しかし確かに繋がっている
前回取り上げた朋千絵の一首「太陽の沈まぬ国のひまはりは首落つるまで陽を追ふといふ」が、向日葵の性質が極限に達した怖さであるとするならば、掲出歌は向日葵が花として咲くという性質がまったく機能していない点に怖さがある。
本来なら、向日葵が太陽にその顔を向けるように、豊かな記憶を土台にこの先のことに顔を向けて進んでいくことができる。咲かなかった向日葵は、そのまま枯れていくことになるのだろうか。
過去だけではなく、この先にも「泣く記憶」が待ち構えていそうな運命に苦しさを感じさせる。
(☞次回、7月31日(月)「かすかに怖い (10)」へと続く)