今井恵子


股関節こくつと鳴りぬストレッチは自分のからだを捜すものなり

梅内美華子『真珠層』(2016年・短歌研究社)

 

街を歩くと、ヨガや整体や岩盤浴などの看板が目につくようになった。この頃では、通勤途上でちょっと疲れをとろうという人に人気があるらしい。それぞれの系統の淵源をたどれば、健康についての長い歴史を知ることになる。人間がよりよく生きるため、健康に強い関心をあつめたのは当たり前のことではある。しかし、そのわりに、わたしたちは自分の身体の構造をよく知らない。知っているつもりではいても、たとえば「股関節」の仕組についてあまり考えたことはないだろう。

 

この歌は、ヨガや整体や岩盤浴というほどではなく、自室でストレッチ体操をしているようだ。長く付き合って、十分に知っているつもりの自分の身体の一部である「股関節」が「こくっ」と鳴った。自分のからだを捜しているのだという。わたしは、これを読んだとき、健康を保つ看板が街に掲げられる理由がわかった気がした。駅を降りて自分の体を取り戻した人が、家に向かう姿を想像した。人は、自分の体を取り戻して家に帰るのではないかと思ったのだ。そこには、都会のオフィスで一日をはたらき、身体を見失って疲れた人間の顔がある。

 

地下駅の壁からすうッと現れて会社に行けない霊が乗り込む

西日差す電車の窓に後頭部あたためてをり何か芽吹くまで

資生堂パーラーにかはゆき菓子選び無縁仏となるかもわれは

 

「股関節」「地下駅」「後頭部」「資生堂パーラー」など、それだけでは特別な語ではないが、一首の中で効果的に、現代人の無意識に潜む底知れぬ闇を引きだしている。「自分」こそが、その人の人生でもっとも大きな不可思議であると、あらためて思う。