今井恵子


陸奥みちのくをふたわけざまにそびえたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

斎藤茂吉『白桃』(1942年・岩波書店)

 

「六月四日、舎弟髙橋四郎兵衛が企てのままに蔵王山頂歌碑の一首を作りて送る」という詞書をもつこの歌の碑が、蔵王山頂にあると知ってから、ぜひ一度行ってみたいと思っていた。それがこの夏、ようやく実現した。上山駅からバスで約1時間、リフトに乗り替え火口湖「お釜」を見下ろせる場所へ。そこから「馬の背」と呼ばれる山道を50分ほど歩いたところに歌碑はたつ。晴天ならば素晴らしい景色が広がるところだが、当日は生憎の雨で、「お釜」も見えず、全身ずぶぬれになって山頂に着いた。歌碑のとなりには熊野岳熊野神社がまつられている。周囲は真っ白。はたして「雲の中に立つ」そのものではあった。

 

『作歌四十年』で茂吉は次のように書いている。「歌碑建立はそのころ歌壇の流行になっていたのでこういう企ては尽く拒絶していたところ、梧竹翁の富士山上碑もあるのに、朝晩仰いで育った蔵王のお山に歌碑を建てない法はないと説得せられ、ついにこの一首を作った。『聳えたまふ』は、この山は出羽三山の『西のお山』に対して、『東のお山』であり、女人禁制の神山であったからである。歌碑のことを舎弟らはウタヅカと称している。石工鈴木惣兵衛精進潔斎、蔵王ヒュッテに宿泊して日々山上に通い、八月二九日、雲霧濛々たる中にその建立を成就したのであった」。「梧竹翁」は書聖といわれた中林梧竹。今は、上山だけでも多くの茂吉歌碑がたっているが、茂吉の生前に建てられたのは山頂歌碑一つであるという。簡単には世間の流行に乗らない。それにしても、「拒絶していた」と言いつつも誇らしそうである。

 

茂吉の生家は「お山」への信仰心があつく、少年茂吉も父にともなわれて出羽三山に参っている。上山の土地が育んだ精神文化が、茂吉の歌と深く結びついていることを思った。

 

われもかくそだちしおもほゆをさなきが衣寒ころもさむらに雪のへに遊ぶ

ただひとつしみて置きし白桃しろもものゆたけきを吾は食ひをはりけり

 

身辺の素材を歌いつつ、「写生」の語で括れない、高い精神性を感じさせる。