食堂の黄なる硝子をさしのぞく山羊やぎの眼のごと秋はなつかし

北原白秋『桐の花』(1913年・東雲堂書店)

 

秋の到来を感じる契機はさまざま。例えばサトウハチロー作詞・中田喜直作曲の童謡「ちいさい秋みつけた」では、口笛、百舌の声、くもりガラス、ミルク、風見鳥、櫨の葉が出てくる。童謡ではあるが歌ってみると何だか寂しい。対してこの歌で、白秋は「秋はなつかし」という。4句までが「秋」のイメージである。

 

「なつかし」とはどんな感情だろう。広辞苑を引くと①親しみがもてる。②心がひかれるさまである。③かわいい。④思い出されてしたわしいとあった。つまり、気持ちがそちらの方へ動くことをいう。発見した「秋」にやわらかな愛しさを感じているように思われる。食堂の色ガラスを覗きこんでいる山羊の、細い瞳に感じる人懐こさと、「秋」に感じる親しみに、相通じるものがあるというのである。明るく澄みとおり、爽やかに秋がやってきた。

 

『桐の花』は、前半と後半に別れている。後半は事実にそった配列になっているが、前半は、はじめの章「銀笛哀慕調」の歌は春夏秋冬の順に並ぶ。次から章ごとに「初夏晩春」「薄明の時」「雨のあとさき」「愁思五章」「春を待つ間」「白き露台」、つまり四季にそって編集されている。掲出の一首は、「愁思五章」にある。

 

クリスチナ・ロセチが頭巾かぶせまし秋のはじめの母の横顔

ひいやりと剃刀かみそりひとつ落ちてあり鶏頭の花黄なる庭さき

武蔵野のだんだん畑の唐辛子いまあかあかと刈り干しにけれ

 

外界に触れる感覚が、鋭く繊細である。色彩、温感、語感が、華やかながら痛覚をも呼ぶかのようだ。