輪をかけて疎遠になっていくひとの輪っか水面におおきくひらく

     小谷奈央  「歌壇」10月号  本阿弥書店  2020年

 

人とのつながりというのも、結構あやふやなもの。ある時期は毎日のように出会ったり、話したりしていた人も、なにかちょっとしたこと、あるいは、とりたてて何もなくても、連絡をなんとなく怠ってしまえば、しだいに疎遠になってしまう。それはわずかな痛みとなってときおりは思い起こされるけど、それもまた生活の流れの中で、時間の中にかき消されて日々は流れてゆく。

この歌では、輪をかけて疎遠になっていく人、とあるからある時期はかなり親密につきあっていた気もする。その関係が急速に遠ざかってゆくときの、どことなく儚いような、寂しいような頼りない思いが「輪っか水面に大きくひらく」というフレーズにあざやかに視覚化されている。小石でも投げたあとだろうか、水面におおきくひろがっていく水紋。

その美しい景と疎遠になっていく人のかすかな存在感が重なり合って印象的。

 

それにしてもこの歌ではそのはかない繋がりをとりたてて嘆くわけでも、感傷するでもない。ただそういうものとして拘りなく受け流しているように思われる。それは「輪っか」といった口語的な軽い語彙の効果もあるだろう。また、消えてゆくのではなくて、水面に大きくひらく、とあざやかなイメージに定着したことで、人とのつながりの変遷が、しずかで美しい印象として立ち上がってくる。こうした措辞の起こし方には整った知性のまなざしがあるように思う。

 

はじめからしずかであった生活のあちらこちらに蝉がぶつかる

 

はじめからしずかであった生活、という入り方にちょっと驚く。たしかに生活ってたいがいは静かなもの。乱しているのは自分の心のせいかもしれない。それは唐突な外からの刺激によって引き起こされる波乱。それを、「あちらこちらに蝉がぶつかる」とちょっとユーモラスに表現している。それでも、生活はそれほど変わらずに時が流れてゆくのか。

この歌も生活に対して距離感をもって向き合っていて、そんな言葉がすてきだなと思えた。