竹山広『千日千夜』(1999)
「被爆五十年」とタイトルのある一連。
竹山さんは、1920年2月、長崎生まれ。25歳のとき、結核治療のために入院していた長崎市内の病院で被爆。2010年3月に亡くなった。
被爆歌人と括ろうとすれば括れるかもしれないが、この一首を読めば、それだけではないすごさがわかる。
原爆関係の行事のためにたびたび黙禱があるのだろう。そこで人はだれでも心から黙禱するに違いない。その祈りに嘘はないはずだ。
しかしその背後にはなぜか一分と決められた枠があり、黙禱を指揮する人がいる。
もちろん、式典はそういう統率がなければ成り立たないのだが、少しでも考えてみればそのおかしさは理解できる。
祈りとは、だれからも干渉されることないまったくのプライベートな領域である。しかし、それがシステマティックに一分と決められ、祈りの始点終点を指示する人がいるのだ。
式典出席者は、個々の祈りはありながら、指示に従って粛々と祈りを終える。多くの人がその習慣に疑いを持たないのではないだろうか。
しかし、竹山は疑った。みづからが被爆者という立場でなければ、部外者からの揶揄だと非難をうけたかもしれない。竹山が言わなければならなかったセリフである。
(「一分の黙禱はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ」という歌が『射禱』にある。)
大衆が何かの指示を盲目的に受け入れ行動した結果として、戦争があり、原爆投下に至ったのではないか。それは危ない、と心の中の記憶が告げるのだ。
直接、そうは言わないが、この一首はしづかにそう言っているように聞こえる。