森本 平 「短歌」 角川書店 2021年6月号
「夕刻に病む」12首より。
世の中、コロナに明けて、コロナに暮れる。こんな状況が、既に一年半近く続いている。そしてなお、いつになったらこの状況が終息するか、まったく分からない。
授業が終わったら、その足で球場へ駆けつけて、メガホン片手に巨人戦を観ることなど、一年ちょっと前には青年にとっては普通にできていたことだろうが、今は「夢」として語られている。
今まで当たり前のように出来ていたことが出来ない、そういう非常事態のなかに生きている私たち。この状況を表すのに相応しい形容詞はあるのだろうか? 既成の言葉になければ、創るしかない。
「ころなしき夢」。「ころなし(ころなしい)」という言葉に初めて出会った。
「ころなし」としか言いようがない作者なのだろう。
ああ蜂がいたるところでこうるさいまあころなしい世の中だからね
あーだこーだうーだあーだの言の葉のころなしければしばしかなしも
コロナ禍を巡って、いろいろな所で、いろいろな人が、いろいろなことを言っている。けれども、何が正しいことなのか、判断するのは難しい。こんな中でも、大事なことは隠されたり、曖昧にされたりしているようで、言葉は「あーだこーだうーだあーだの言の葉」となってしまう。
「まあころなしい世の中だからね」「ころなしければしばしかなしも」には、この状況をなんとかしようにもどうすることもできない不甲斐ない思いが窺える。ちょっと茶化したような表現のなかに覗くペーソス。しかし、コロナ禍さえ利用して粛々と進められていることにもアンテナは張られている。
蚯蚓の君はこんぷらいあんすに潜り込み人を殺むる言葉を探す
ひらがな書きの「こんぷらいあんす」にゾワッとする。コンプライアンスさえ本来の意味を失って、お飾り的に利用されている向きがあるのかもしれない。そこに潜り込む「蚯蚓の君」は、至るところに居そうである。
ともあれ、非常事態が長期化する中では、ストレスを溜め込むのは禁物だ。ストレスによって免疫力も弱まるという。
人生の夕刻に病む といいながら温きスープをすするのである
「人生の夕刻に病む」と言うくらいの余裕を残しながら、身体には栄養を。
ところで、作者の創り出した「ころなし(ころなしい)」だが、このさき形容詞として認知されるのかどうかは今のところまだ分からない。