永井 祐


月ふたつ越えてなほ病む児が髪は耳をおほひて延びほうけたり

若山牧水『くろ土』

 

ふたたび『くろ土』から。
今日の歌は「児等(こら)の病めるに」という連作のうちの一首です。
次のような前書きがある、タイトルのとおり子供が病気になったという連作。

「八月初め兄の旅人先づ病み、妹みさき子相次いで倒れ、九月半ばを過ぐれども癒えず、両人とも腸をいためたるなり。」

これ、読んでみると面白かったです。
冒頭、なぜか梨の実の歌が三首つづく。

 

児等病めば昼はえ喰はず小夜さよ更けてひそかには喰うこの梨の実を

つにさきひとつを持ちて皮むくやこの大き梨はなほ手に余る

 

子供の具合が悪くて看病をしていて、仕事なども夜に起きてやっている。
「昼はえ喰はず」、昼には食べられなかった梨の実を夜にひっそりと食べる。
食べられなかったというのは、昼のあいだは子供の面倒で腰を落ち着けられなかったり、自分だけで楽しみの果物を食べるのもなんだか、という感じなのかな。
このシチュエーションがいいですよね。子供はとりあえず寝付いていて、夜のひっそりとした一人の時間に、梨を剝いて食べる。大きな梨の実を「四つにさきひとつを持ちて」皮をむき、むしゃむしゃと食べる。
言いがたく心に残る、いいドラマのワンシーンみたいです。

今日の歌はこの流れで出てくる。
病気は二ヶ月を越え、髪が耳をおおうほどになってしまっている。
「ほうけたり」は「ほうける」という動詞で「ほつれ乱れる」という意味。
ぼさぼさに伸びた髪が、子供の状態をいかにもあらわしていて、かわいそうだ。
それで、この歌は「耳」という語が印象的に出てくる気がします。
小さいやわらかい耳というものが、子供の幼さとか傷つきやすさの象徴のように見えてきます。
ちょっと言い過ぎかもしれないけれど、病んでいる子供をあらわす言葉として、耳と髪を言うところ、ここが何かどきっとするところでした。

この歌もストレートに子供をかわいそうに思っている感じがします。牧水の歌、徳が高いというか、どんなものでも嫌味がない。そしてどこかイノセントな感じがある気がします。

前回の歌でもそうだけど、幼いものに対する共感があるように見えます。「少年性」というよりは「子ども」という感じの。そのへんが素敵に思います。