久石 ソナ 『サウンドスケープに飛び乗って』 書肆侃侃房 2021年
薄情なことなど、できたらそっと隠しておきたいものだろう。
けれども、ここでは「互いにさらけ出そうよ」と言っている。
いい顔ばかりを見せる必要はない、良い人ぶることもない。お互いに隠しておきたいようなこともさらけ出そうよ、本心を隠さずに見せ合おうよ。そう言うからには、心許せる相手なんだろう。
「耳たぶを嚙み合うように」という比喩。耳が痛いようなことも、耳に辛いようなことも、ということを言っているのだろうが、それだけに留まらない感じだ。お互いの耳たぶを甘嚙みし合うようなイメージ。エロチックである。
プラトニックラブはもう卒業した、と言っているような。
好きな相手を口説いているのであるな。
この一首に続くのは、次のような歌だ。
やさしさの使い道なら知っている涙をぬぐう指先の向き
飲み残した酒をシンクへ流し込む 旅立つ前の鐘の音がする
海を知る電車に人はぼくらだけ誰かの忘れ傘が揺れてる
物語が始まっている。
「やさしさの使い道なら知っている」なんて、殺し文句ではないか。飲み残した酒は「シンクに流し込」み、旅立ちの鐘の音を聞くのである。そして、「海を知る電車」には、「ぼくら」と誰かの忘れていった「傘」だけ。
役割を担いたいよね灯台は午後五時にひかりを宿す
じっと海を眺める窓が曇るほど近づけている顔の静けさ
「じっと海を/眺める窓が/曇るほど/近づけている/顔の静けさ」、口語が刻むリズムが切なくひびく。特に、2句から3句にかけてのあたり。結句で見ているのは、相手の「顔の静けさ」。切なさは、そこからも来る。