久我 田鶴子


動画配信の塾の広告配りつつこの教室は既に瓦礫だ

川本 千栄 『森へ行った日』 ながらみ書房 2021年

 

2020年2月27日、当時の安倍晋三首相が全国の小中高校・特別支援学校に一斉休校を要請。

その後、4月7日に7都道府県を対象に発出された緊急事態宣言は、4月16日には全国に拡大された。5月25日に解除されるが、その後も不要不急の外出自粛、学校の授業もオンラインで行うことが推奨されるようになった。

この一首は、そういう中で作られている。

新型コロナウイルスの感染を防ぐためにオンラインで授業をするようにと言われても、そうしたことのできる環境の整っていない現場の混乱は、容易に想像できる。それより前、よりにもよって学年末の時期に突然の全国一斉休校で、成績処理や入学試験、卒業式や入学式はどうするか等々、教員も生徒も振り回され、疲弊しきっていた。そこへ、新しい授業のやり方を、である。

取りあえずの方策を立てなくてはならない。そこでやらされた「動画配信の塾の広告配り」、ということなんだろう。自分たちの教室で、自らの仕事を否定するかのようなことをしなければならない悔しさ。「この教室は既に瓦礫だ」に籠められた思いは如何ばかりか。

 

学校って本当に要るの 立ち止まり考えてみれば毎日は砂

 

この歌も、辛い内容の歌だ。そして、コロナ禍のなかで、ようやく立ち止まって考える時間を得たということでもある。

それ以前の歌に、「仕事とは全て雑用 例外は一つ授業だけと思えど」という歌もある。

考えてみれば、雑用に追われて、雑用の合間に授業をしているような学校現場、という状況がコロナ以前から長いあいだ続いてきた。アリバイ作りのような書類書きばかりがあり、次々と上からのお達しで新たなことをさせられ、そのための研修が重なり、取得資格の更新にまで時間を取られ……。

立ち止まって考える余裕などない。ただただ走らされていた。立ち止まって考える隙を与えない方が、管理する側には管理しやすい。教育現場もいつの頃からか、そんなふうになっていた。

「毎日は砂」と教師が思うような学校なんて、どうなんだ? 教師は専門職なんだから、授業こそが大事なんだよと言われもし、自分でもそう思って頑張ってきても、いつの間にか押しつぶされ……。そういう中に身を置いて、嘗ては私も喘いでいたのだったが、その頃よりも状況はいっそう悪い方へ向かっているようだ。