江戸 雪


逢ひたいと思ふ、思へば昼も夜も緋の澱を手に掬ふきさらぎ

高島裕『雨を聴く』(2003年)

きさらぎ。
そのひとのことを思い出す。いつも逢えるわけではないこいびと。まだまだとうてい逢えそうにもない遠いあのひと。
今、誰とどんな会話を交わしているのか。どんな服を着てどこを歩いているのかしら。もしかしたら眠っているのか。いつものように笑えているだろうか。
そんなことをすぅっと考える。すると、とても逢いたくなる。
逢いたくなると、それまでの穏やかな感情が波打ちだす。

この歌の二句目。「思ふ、思へば」で、ざわざわ波打ちだす気持ちを鮮やかに描きだしている。「思ふ、」までは静かにこいびとを思い出しているけれど、「思へば」からは急速に大きな壁が心中に立ちはだかり、あるいは様々なおもいにとらわれたように落ち着かない。「昼も夜も」ざわめき続ける気持ち。

「緋の澱を手に掬う」には、情念のようなものを感じる。
「澱」。日常を生きているといつも澄んだ水のようにはいられない。自分のなかに「澱」が溜まっていくという感覚はよくわかる。その場合のそれは負の「澱」だ。
しかしこの歌の「緋の澱」は、自分のなかの濁った〈おどみ〉ではなく、〈結晶体〉のイメイジ。こいびととの関係のなかで得た「緋の澱」。
それを手で掬いながら、逢える日を夢見ている。