寺山修司『血と麦』(1961)
「老年物語」と小題のある一連。
・すでに亡き父への葉書一枚もち冬田を越えて来し郵便夫
ではじまる31首。
「かけてあり」でなく「かけており」となっているから、今ちょうどその肖像を壁にかけているところなのかもしれない。肖像を手に持って、生々しく、「彼」のことを考えているシーンだろうか。それだと動きが付き過ぎる。やはり、掛けてある肖像を眺めているととるほうが自然だろう。
この「肖像」はだれのものか。(北、であるのもいい。)
「父」であれば、「みな」というほどの数の人間はいないだろう。一連に
・わが売りしブリキの十字架兄の胸に揺れつつあらん汗ばみながら
があり、「兄」は設定されているけれど。
祖父、曾祖父、あるいはもっと上の世代か。作者が直接に知らない方がすごみが増す。
とにかく、その「彼」をひとつの起点として一族が構成されている。彼以降の一族にはすべて彼の血が入っている。
彼自身の肉体と血はすでに滅び、半分さらに半分と薄まりながらも、その彼の血は続いてゆく。
そして、彼に近づくように、徐々に老いてゆき、やがては死ぬ。
自分という存在の不思議さを改めて思わされた一瞬であったにちがいない。