草はらに草の重心揺れ合いて尿ゆまりしており小さき私

『キンノエノコロ』前田康子

 前田康子の歌にはたくさんの草花が登場する。それも園芸種のものではなく、文字通り野生の草花がきちんと名前をもって歌われている。これは今の都市化された生活の中ではかなり特殊なことといってもいい。前田の生まれ育った環境については何にも知らないが、この歌の「草の重心」が「揺れ合う」という感覚には、まぎれもなく幼児体験がありそうだ。というのも、わたしにも同じような「草はら」時間を過ごした幼年の記憶があるからだ。そこで「尿」する「小さき私」の身体感覚と、「重心揺れ合う」草の身体感覚との奇妙な一致を、わたしは確実に共有できる。そしてその時の一種の幸福感もまた「草はら」がもたらしてくれた体験なのである。詩歌も小説も、あらゆるロマンの源としての「草はら」を、ひそかに思い出させる一首である。二〇〇二年刊行。

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