湯の中に塩振りながら ブロッコリーお前程いさぎよき緑になれたら

文屋亮『月ははるかな都』(2006年)

ブロッコリーはキャベツの一変種でカリフラワーの原型。緑色の花蕾を食べる。
夏に蒔いて冬に収穫するものと、秋に蒔いて春に収穫するものがある。
手許の歳時記には載っていないが、冬の季語とする場合がある。

ブロッコリーはちょっとくもったような深緑色をしていて、茹でると鮮やかな緑色になる。塩を入れると、いっそう鮮やかな色に茹で上がる。
その色合いの変化は、ちょっと感動的だ。

食べ物として供されるとき、身のうちに蓄えた鮮やかさを惜しみなくさらけだす。そんな、いさぎよさ、が自分にはない、と主人公は感じた。
ちっぽけな自分自身をさらけだしてしまったら、それで終わりになりそうな不安に、身動きができないでいるのだ。
恋は人を、ひどく傲慢にもすれば、ひどく臆病にもする。

なれたら、というのは、自分はなれない、ということである。
でも、一首にはよどんだところがない。
主人公が、自分に足りないと直感したのは、いさぎよくあきらめること、ではなく、いさぎよく自分のこころの内をさらけだすこと、だ。
いまは逡巡していても、みずみずしい恋の季節に向かってきっと足をふみだせそうな、そんな予感が一首にはある。

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