江戸 雪


父といふニコチンまみれの気まぐれは童女(うなゐ)の髪を指もて梳くも

島田修三『晴朗悲歌集』(1991年)

「ニコチンまみれの気まぐれ」は、父の自虐的な自己認識。それと同時にこの表現は、家族への愛の裏返しである。

家族のひとりとして共に生活しながら、ときどき自分勝手にふるまったりしてしまうけれど、いつもつよく家族を愛している父。
そういう父の存在は、家族の潤滑油になる場合もしばしばあるのではないか。「もう、お父さんったら・・・」と子や妻に云われながら。

家族は風とおしよく一緒にいられたらいいなとおもう。けれどそれがなかなかうまくいかない。
適度な距離をたもつことは、親子でさえも、いや親子だからこそほんとうにむずかしい。
この歌の父は、子どもとの距離感がいい。

下の句の「髪を指もて梳くも」のなまなまとした仕草に胸がこそばゆくなる。
娘の小さな頭、父の大きな掌。
ある読者には、遠い日の父に愛された感覚がよみがえってくるだろう。
ここには、娘と父の、愛に陶酔する一瞬があざやかに表現されている。
またそれによってこの歌は胸へ一気にくいこんでくるような瞬発力をもつのだ。