魚村 晋太郎


安心といふのはかういふものだらうひとつの花にひとつのめしべ

柳宣宏『与楽』(2003年)

梅干やさくらんぼを食べていて、種がふたつ出てくる、といふことはない。スイカには、種無しの品種もあるけれど、ふつうたくさんの種がある。
ひとつの実に種がいくつできるかは、花のなかにある胚珠の数によって決まるが、胚珠が複数ある花でも、めしべはふつう1本にまとまっていて、複数のおしべにかこまれている。

めしべ、は女性の喩だ、と読むことができる。
では、複数あるおしべは、複数の男性の喩であるのか。
そんなふうに理詰めに読んではつまらない。
あるべきところに、あるべきものがあること、その安心を一首は詠っている。
性や婚姻への連想はもちろんあるが、男性にかこまれた女性、といふより、家族にかこまれた母親をイメージした方がいい。

あるべきところに、あるべきものがあること。
たとえば、一日の終わりに帰る家がひとつあること。
それが安心に感じられるときもあれば、息苦しく感じられるときも、実際にはある。
一首は、大切な人との関係が、花のつくりのように素朴でこころ安らかなものであってほしい、という作者の願いでもあるのだろう。

一本の木から木仏を彫りだすように、自分の信念や思想を、植物や昆虫などの小さな自然の営みのなかに見出す箴言風の歌は、作者の特長である。
めしべの歌では、作者の思いが前面に出ているが、歌集には「春の日はどこやら水が滲み出でてこの足もとをきらきらと過ぐ」というような、もうすこしぼんやり歌もあって、すぎてゆくものにそそがれる作者のいつくしみのまなざしが感じられるのである。