木陰にてさくりと鍬をふるう祖父影をもたぬは哀しきことよ

駒田晶子『銀河の水』(2008年)

 

 

祖父は鍬をふるっている。
「さくり」という音がやさしく、祖父がおだやかな状態でいることを伝える。

しかしその祖父は、木の陰で働いているため影をもたない。
「影をもたぬは哀しきことよ」の下句に立ち止まる。

 

木の影の中にすっぽりと入り込んでいる祖父は、日なたにあって、くっきりと強い影をひく姿を思い浮かべる時、確かに存在感のうすさを感じさせよう。

でもたぶん、それだけではない。
この「哀し」いの元には、影は必ず人に添うものという思いがあるのだろう。それが負のイメージをまとうことも含めて、一対なのであろうと思う。
影があってこそ人間なのだ、という思いが下句には含まれているのだ。

 

ここで祖父は、より大きな影に入って影がないのだが、そのことは、太陽に照らされながら影をもたない、とするより、自然に、ソフトに、そしてずっと陰影深く、「影をもたぬ」ものの「哀し」さを伝えてくる。

 

・水たまりから歩きだし足跡のうすくなり消えてしまった人よ

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