黒瀬 珂瀾


僕はいくつになっても夏を待っている 北蠅座というほろびた星座

土岐友浩『Blueberry Field』

 

北蠅座。きたばえ座。ラテン語ではMusca Borealis。聞いたこともない星座だが、17世紀ドイツの天文学者ヤコブス・バルチウスが命名した星座だそうだ。どうやらペルセウス座、おひつじ座、さんかく座の中間あたりにあったらしいが、今では星座として認められていない。このバルチウスという人は、かのケプラーの娘婿だったとか。

 

本家の「蠅座」(かつての南はえ座)は現代に残っているのに、この「北蠅座」は科学史に埋もれてしまった。そんな小さな星座の幻に、作者は哀惜を注ぐ。この滅びた星座は、世界を解明せんとする人類知の歴史の、ささやかな痕跡だ。様々な研究はその多くを無駄に終え、そして、膨大な無駄の集積から、次代への発展が紡ぎだされる。それはどこか、気の遠くなる未来を見据えた話で、無限の世界への憧れを掻き立てる。そして、小さな人間である作者は、その遠い思いの中に、限りなく巡る夏を待つ。この「夏」は、永久に純粋で、超越するものの比喩かもしれない。例えば、壮大な天体を浮かべ続ける宇宙のように。

 

  まだ持っていたんだそれはデニーズのおもちゃうりばで買ったピングー

  午後につき公園だから鳩なのでパン屑たべる 肉を脱ぐまで

 

短歌において、永遠を見つめることと、小さな生活を見つめることは、ある意味、同義ではないか。ファミレスで買った小さなおもちゃをずっと持ち続ける心。それは、現代生活の中では見えない「永遠」の、代替物を求める切なさかもしれない。そして、この午後の、この公園の、この鳩であるという、大いなる偶然を前にして、全ての世界が物質から逃れ出る時を夢想する。小さな詩型が小さな夏を見つめる時、そこには遠い憧れがある。

 

追記 土岐友浩『Blueberry Field』はウェブ上で公開される短歌作品集である(テキスト版はこちら)。ぜひご覧いただきたい。ウェブサイト製作は光森裕樹。