澤村 斉美


かつて祖父は資産運用に敗れたり古き通帳に雨の匂いぬ

桜井健司『朝北』(2011年)

祖父の通帳を見ることがあった。その古い通帳に印字された数字を追っていくと、順調に増えていた数字が、ある箇所で不自然な減り方をしていたのだろう。印字された数字という動かしがたい事実から、祖父がそこで資産運用に失敗したことを推測する。一見、数字は記録でしかないように見えて、多くのことを物語る。作者は、数字の背景にある人間の生や情念に分け入って歌おうとする。結句「雨の匂いぬ」に、叙情を志向する作者の意思が読み取れる。

 

掲出歌は専門性がさほど高くはない歌だが、金融業界で働く作者の本領は次のような歌にあるだろう。

  デイ・トレーダーも風邪をひきつつ海原を漂いていん 秋の暴落

  耳聡く騰落の音聞き分けて売りぬけるらし 人の後ろ背

  ひたひたとデフレ・リスクが生活の水際(みぎわ)にし寄る秋と思うも

1首目、株価の暴落に遭ったとき、業界は指針を失い右往左往するのか。その状態を、漂うしかない「海」に喩えているものとして読んだ。業界のみならず、個人の投資家も、漂っていることだろう、という。「風邪をひきつつ」は、株取引のつまずきを「風邪」に喩えているのかもしれないが、「風邪」という、人の体の自然を表す言葉を使うことで、数字の世界に人の在りようがなまなまと感じられる。2首目は職場で人の働く様子を活写する。職場のシステムを私はよく知らないが、株価の高騰と下落に際して「音」が鳴るような仕組みになっているのだろうか。そうではなく、動物的な勘で「騰落」に「音」を感じ、株を売り抜ける、その仕事ぶりを人の背中に見ている、とも考えられる。3首目、物価が下がり続けるデフレは、経済を後退させる。金融と深い関わりを持たず生活する者には、目の前の物価の下がり具合から経済の先行きを大局的に予測することは難しい。しかし、作者は「ひたひたと」「生活の水際」にリスクが寄ってくることを感じとる。専門性に裏打ちされた勘と認識を、「秋と思うも」と叙情たっぷりの表現に溶かし込む。

 

  不景気に蝕まれたる経済は四肢を垂らしてベンチにし寝(い)ぬ

  うなだれて読書する妻よく見れば本をひろげて滅んでおりぬ

 

たとえばこれら2首が、この10年ほど私たちが見てきた日本の経済の、日本の生活の姿を象徴しているように読める。経済と短歌が交差するところに深い視座を得た歌集である。